神様とたくさんぶつかりながら合宿をつくりあげた話

神様とたくさんぶつかりながら合宿をつくりあげた話

最近、教会で夏の合宿をしたのです。

いつもわたしは撮影担当でしたが、今回、まさかの総務を担当しました。

まさかの合宿1週間前に総務メンバーが決まり、1週間で超速で準備を進めました。

 

いつもの合宿では、撮影担当で体力が尽きてヘロヘロでしたが、

それとは比にならないくらい、今回は総務と司会とその他もろもろですべてをやり尽くしました。

 

扁桃腺が腫れ上がるくらい、限界突破しました。

今、液体しか飲めないです。

 

わたしはあまりやる気がなく、なんでも適当にしてしまう性格なので、

このような形で本気で挑んだ経験というのは、摂理に来てからあまりなかったことです。

あったとしても、人に頼ったり、考えるのを放棄したりしてきました。

 

しかし今回は、神様と一緒にぶつかり合いながら行った感じがしました。

表現がよくないかもしれませんが、神様と殴り合いながら一つになれた感じがします。

だからすごくうれしいです。

 

神様を中心に、御言葉を中心に、と考えながら準備を進めてきて、当日を迎えました。

プログラム、司会など、御言葉をもとに考えて進めたから、自信があったし、気に入っていました。

続けて伝えられる御言葉の内容と、合宿の内容が繋がっていたりして、神様と一緒に行えている感じがしました。

 

しかし当日、わたしは自分を中心にして考えていた部分がありました。

それこそ、わたしが本当に捨てるべき考えでした。

 

わたしは、自分の担当は自分でやりきりたいという思いが強かったし、

他人に任せてもいい部分も、自分の担当だと考えて自分で背負うくせがありました。

 

だから、合宿中にはもう体力が残っていませんでした。

合宿中、常にヘロヘロだったし、あまりみんなのことも考えてあげられなかったなとおもいます。

朝、プログラムが始まる直前も、眠すぎてこのまま寝過ごそうかとおもいました。

 

体力がないこともあり、考えに余裕がありませんでした。

なので、マニュアル的に進める考えが強くなりました。

最初に決めたから、とその通りに進めることしか頭にありませんでした。

 

また、わたしはなんでも適当にしてしまうくせがありました。

あまり考えなくていいか、このへんはなんとかなるか、とそういう風に考えてしまいます。

だからよく、何も考えないで行うことがあります。

 

自分がやりたい通りにやって、神様が共にしてくださることを忘れ、

神様を中心にすることを忘れ、神様とずれてしまうことが多いです。合宿中の行いもそうでした。

わたしが本当に悟れるように、神様が一番いい方法で教えてくださったと感じます。

 

しかし、わたしは自分の腐った考えに気づいて、本当に落ち込みました。

神様を中心にしていないわたしが総務をして、共にしてくださる神様に申し訳ないし、

この合宿はもうおわりだ・・と考え、合宿の途中で心が死にました。

 

「総務おつかれさま」「司会よかったよ」と教会のみんなが優しく声をかけてくれるたび、一層落ち込みました。

土に埋まりたい・・すべてをなかったことにしたい・・と考えることしかできませんでした。

 

落胆しすぎて、みんながランチを食べている間、トイレにひきこもりました。

そして、泣きながら悔い改めました。

ちなみに順番待ちの人はいませんでしたから、問題はありませんでした。

我ながらメンタルが弱いなとおもいましたが、どうしても立ち直れませんでした。

 

でもランチの撮影をしないといけない、トイレから抜け出さなくては、とおもいました。

トイレの水を流しながら、今、わたしの古い考えをこのように洗い流す過程だと感じました。

 

その後、みんなで山登りをする機会がありました。

2、3歩くらい登ったあたりで、やっぱり帰ろうとおもいましたが、

やっぱり撮影をしなければいけないと思い、みんなについていきました。

 

山に登る中で、形のある石を探す企画がありましたが、

わたしが持ち帰ってきたのは、ハートの石でも顔の石でもなんでもなく、ただのごみでした。

周りの人は、石を拾い、きれいな花をみつけ、神様の愛を受け取っていましたが、

わたしはごみを拾いながら、自分が神様からもらったプレゼントは、このごみだと感じました。

自分のごみのようないらない考えをみつけられたことが、神様がくださった大きなプレゼントだと感じました。

 

わたしは失敗してしまったけれど、もう一度神様に近づこうとおもいました。

神様はそういうとき、いつもチャンスを与えてくださいます。

合宿の途中で自分の考えに詰まっている膿に気付かせてくださり、

最後には、やり直すことができるように導いてくださいました。

 

神様を中心にする生が本当にできていないし、頼りないけれど、

大切な場面で自分を使ってくださったこと、

教育し、成長させてくださったことが感謝だとおもいました。

 

こういうわけで、神様とたくさんぶつかることができた合宿でした。

一緒に総務をした人には迷惑や心配をかけたし、教会のみんなは不足を感じたかもしれないけれど、

神様の愛を持って接してくれて感謝でした。みんなと共に神様を迎える合宿ができてよかったです。

 

ちなみに今日もつかれすぎて神様を中心にしていなかったので、つかれているときがわたしの弱点だなとおもいます。

わたしは自分の腐った部分を見つけられたから、続けてもっとよくできるように変えていこうとおもいます。

神様をいつも掴んで離さない人になりたいです。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 5 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. by 黄雲

    殴り合いながら一つになる
    すごい射抜かれた表現でした。

  2. by 麦わら

    お疲れさま!
    私も前回司会やらゲームの出し物とかいろいろやらせてもらったときには、自分中心になっちゃってる自分の姿に気づかされるようになったよ^^;神様がいろいろ気づかせてくれたのはほんとに大きな愛を受けたね!

  3. by mimi

    患難困難の時こそやはり得るものが大きいですね…!!わたしも振り返ってみた時、1番辛かった時、逃げ出したかった時に1番成長できたなと思います!合宿、本当にお疲れ様でした!!!

  4. by sato

    「殴り合いながら一つになる」という表現に心を打たれました。
    私も自分の心の回復の過程で神様に文句も言ったり、本音を話したりして、一つ一つ悟って、それで初めて回復していったのです。
    日本人はきれいに見せようとする癖がありますが、自分の醜いところ、足りないところも愛してくださるのが神様です。
    だから、自分にとっては死にそうだけど自分の現実を、ありのままを教えてもらえることが感謝だなと思います。

  5. by prov人生

    ハレルヤ。
    お疲れさまです。
    総務にしろ、撮影にしろ、たいへんですよね。
    でも、やりがいがあって、良いですよね。
    やってみてこそ、わかることがたくさんありますよね。

    お疲れさまでした。

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

CAPTCHA