摂理が韓国の宗教と聞いてあやしいと思い、御言葉を聞くのもやめようかと思った話

摂理が韓国の宗教と聞いてあやしいと思い、御言葉を聞くのもやめようかと思った話

摂理は韓国発祥の宗教です。
だから、韓国がきらいな人は、摂理のことも怪訝におもうわけです。

それがまさしくわたしのことだったんですけどね。

えっ、韓国の宗教?あやしいんじゃないの、と。

しかし、待ってください。
韓国の宗教はなぜあやしいのでしょうか。

韓国の製品に信頼性が薄いから?
ある韓国人がモラルのないことをしていたから?
韓国に行ったときにいやな思いをしたから?
韓国の他の宗教がよくないことをしていたから?
それとも、完全なるイメージ?頭の中の想像?

韓国から生まれた全てのものが悪いものだと、わたし、決めつけていました。

しかし、それって浅くないですか。浅すぎて潮干狩りできちゃうんじゃないですか。
ある一つのものに対して、良い、もしくは悪いイメージを持っている。

それだけのことで、他の関係するすべてのことも同じ結果と考えてよいのでしょうか。

そもそもそのイメージをわたしが持っていることで、
自分の得にはつながりませんでした。

イメージを決定する要因の1つとしては、
自分がその対象に対してどれだけのどのような情報を
知っているかで異なってくるとおもいます。

 

 

例えば、ドラゴンボールで考えてみましょう。
ドラゴンボールという日本の漫画があるんです。
その中で、ピッコロというキャラクターが出てくるんです。

今や大人気のピッコロさん、彼は当初、いやなヤツとして描かれていました。
最初、わたしたちはその姿しか見ていないから、
そのときのわたしたちにとっては、いやなヤツなんです。

しかし、ストーリーが進むに連れて、
彼は第2の主人公としても匹敵するレベルの大人気キャラクターとなりました。
最後まで見ると、彼が変化する姿、また善良な姿も描かれるようになります。
そのうち、わたしたちは彼を大好きになっていくのです。

前半だけ見たなら、あなたはピッコロさんを嫌なヤツとして見て終わったでしょう。
でも、最終巻まで読み進めていくうち、あなたはピッコロさんの大ファンになり、
いつしかアニメ版も見るうちに
ピッコロのフィギュアを集めるようになり、
ピッコロ役の声優にハマるようになり、
ピッコロの作画が素晴らしいスタッフのファンになり、
ピッコロに関連するすべてのことがすきになっていくのです。

あなたはピッコロというひとつのきっかけを手に入れ、
それゆえに、様々なサブカルに詳しくなっていき、
結果として、新たな知識を増やすことになったのです。

どうでしょう、ピッコロがすきであることがいいことかどうかは別として、
きらいだったものを理解し、すきになることで、
新たな可能性が広がることはあり得るのではないですか。

 

 

そして、BLEACHの市丸ギン、ONE PIECEのウソップ、
ハリーポッターのスネイプ先生、進撃の巨人のエルヴィン・・・
はじめは嫌われていたけれど、いつしか人気となったキャラクターが過去どれだけいるか考えてみましょう。
今までに食べたパンの枚数くらいあるんじゃないでしょうか。

今の時点できらいだと感じていても、考え方が変わってくるのではないでしょうか。
また、今までも考えが変わり、様々なものを受け入れてきたことはあるのではないでしょうか。

摂理人であるわたしたちの中にも、韓国に対する偏見を持っていた人はわりといます。
さらに言えば、宗教自体に対する偏見を持っていた人たちも。ていうか、そういう人たちばかりです。

冒頭でも書きましたが、わたしも、韓国に対して良いイメージを持っていませんでした。
御言葉を聞き始めて間もないとき、韓国とは関係がないところでありますように・・とか考えていたくらいです。
本当韓国に対して失礼でした。すいません。

なのではじめ、韓国の人が創設者だと聞き、ショックでした。
しまった、ここは悪い宗教かもしれないと考えました。
わたしは騙されたのかもしれない、失敗したかもしれない、と思いました。

韓国の人ってだけで。

それでも、韓国と関連の深いこの摂理で御言葉を聞きながら生きていこうと考えるようになったのは、
より多くの情報を知るようになったからです。

あのとき、ドラゴンボールを読みながら、何があってピッコロをすきになったのでしょうか。

その対象について、より理解したときにすきになりましたよね。
意外と良い一面を持っていることを知ったとき、
対象に関する様々な事情を知ったとき、受け入れるようになります。

それと同じく、わたしは御言葉を聞き、実際に摂理の人と接するとき、
自分が想像していた悪いことなんて、全く起きないということを知りました。

偏見のある「韓国」に伴ってイメージした、「摂理」に対しての自分の考えは、ただの偏見であることがわかりました。
韓国とつながりがある宗教だとしても、わたしは摂理を受け入れるようになりました。

 

 

さらに、摂理で過ごすうち、
韓国の人には、すごくいい考えを持っている人もいるんだ。
実際に接してみると、すごくあたたかくていい人たちもいるのだ。とわかりました。
韓国人である先生のこともすきになったし、信頼するようになりました。
韓国の人のことも、韓国の文化も受け入れるようになりました。

「摂理」と「韓国」に対する偏見が飛んでいったのです。

確かに、韓国に関する悪いニュースが存在することも事実です。
ただ、それと韓国の全てが悪いということにつなげていいでしょうか。
韓国の悪いニュースと共に、摂理が悪いかどうかも言えてしまうのでしょうか。

すべてを一緒くたに考えると、大事な機会を逃すようになります。

サッカーがきらいだから、バスケもできない?
緑茶が苦手だから、紅茶も無理?
facebookは気軽に投稿できないから、Twitterも難しい?
EXILEとEXCELの違いがわからない?

サッカーとバスケは全く異なるものであること、わたしたちはわかりますね。
同じボールを使うけれど、試合のルールも人数も違う。
サッカーができないから、とバスケを断る人がいたなら、
その違いがよく分かる人としては、ちょっとくらいやってみようよ、と言いたくなりませんか。
わたし、サッカーもバスケも苦手だから、その気持ちは全くわかりませんが。

韓国には様々な宗教があやしいから、摂理もあやしい。
わたしはその考えによって、自分の選択肢を狭めていました。

サッカーができなくても、バスケならできるかもしれない。
ある韓国人に関していやな思いをしたことがあったとしても、
他の韓国人なら親友になる可能性だってあるかもしれないじゃないですか。

ひとつの角度から見て生まれた結果だけを根拠にして
判断した答えは、
別の角度から見ても合っているのでしょうか。

韓国と摂理はたしかに密接です。だって、韓国の人が創設者なんだもの。
でも、それがどうしたのでしょうか。

それによって、摂理に対してなにかひとつの答えを出せると考えるなら、
池か海かで考えると、沼でも湖でもなんでもいいですが、とりあえず干潮だと思います。
干潮といったから、海ということです。
かつてのわたしは、モーセが割って歩いて通れるレベルで干潮でした・・。

 

 

それからわたしは、なにか気になることがあったとき、
その人たちの、そのままの姿を見ること、率直な声を聞くことに戻ってみることにしました。

テレビで、ネットで、悪いニュースはたやすく得ることができます。
しかし、テストのとき、自分の消しゴムを折って半分くれた人、
足がなくて困っている人を車で迎えに行ってあげたら、お菓子をくれた人、
カフェでレポートに熱中していたら、落ちたマフラーをそっと戻してくれた人、

わたしが普段過ごしていて、いい人だなあとおもった方々ですけれども、
そういう人をどこで知ることができるでしょうか。
直接触れあって、自分の目で見て、耳で聞くしかないのではないでしょうか。

それが日本人でも韓国人でもオーストラリア人でもロシア人でも、
その人のおかげで、自分はなにかしらのよい思いをしたという事実に変わりはありません。

 

 

また、わたしの書いている文章だって、ある人から見たら浅はかだし、偏見が入っているでしょう。
摂理人という時点で、摂理の肩を持つ側と見るのは当然ですよね。

だから、人の言葉って、結局あてになりません。完全な中立ってむずかしいです。
「騙す」という言葉の意味を知っていますか。本当でないことを本当であると思い込ませることです。

偏見があるとき、本当でないことも本当のようにおもっています。
それでもって、本人はそのことに気づいていないことが多いです。

親しい友人や父母、尊敬できる人、いろいろな人がいろいろなことをいうけれど、
その彼らが本当のことをわかっているとどうしていえるのか考えました。
もしも彼らの言葉が実際と違っていて、わたしが彼らをそのまま信じるとき、
わたしは騙されたことになります。本当のことではないのですから。

それなら、本当のことはどうやって知ればいいのでしょうか。
人のレビューばかり気にしないで、わたしが実際に試すことだと気づきました。

ああいう人もいるし、こういう人もいる。でも、わたしはiPhoneを使い続けてわかった。
どうしてもこのインターフェースだけはAndroidでは代えがたいから、

電池がすぐなくなっても、画面がすぐ割れても、それでもiPhoneを使い続ける。

そういうのが一番シンプルですね。
遠回りした情報で右往左往するのではなくて、実際に自分が直接試してみればいいんです。

しかも、御言葉は製品とちがってお金もかかりません。お金を払って伝えるなんてことはないから。
摂理の御言葉を聞くのにお金を払っていますという人がいたら、
それは摂理ではないので逃げてくださいね。

 

 

ということで、「韓国」のことを重点的に話しましたが、
「宗教」とか「聖書」とかそういうことも同じです。
ひとつの情報から決めつけるのではなくて、全部知った上で判断してみるのがおすすめです。

摂理人の気分をピッコロで例えるとですね、
韓国だからという理由で摂理に悪いイメージを持っている人がいるならば、

ピッコロが孫悟飯と共にし、それまで悪だった心が変化し、
善良化していく姿が
見られる前あたりの巻で、ドラゴンボールを読むのをやめてしまった人が、
それまでの悪いピッコロの姿を思い浮かべながら、
ピッコロはチキンだ、いやだ、と言い張る人の
意見を聞くピッコロファンの気分だということです。

ここまでピッコロネタを引っ張っておいて、わたくし、実はピッコロファンではありませんが、
このよくわからない例えをおわかりいただけましたでしょうか。

そして、摂理人としてはと書きましたが、わたし以外はそのようににおもっていないかもしれません。
六割五分くらいでドラゴンボールのネタが通じないので、きっとみんな、漫画を読んでいないのだとおもいます。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. by kou☆un

    多分、世代じゃないかなぁ。。。
    わたしマンガ読んでなかったけれどアニメみていたからすごい解る譬えだったわ。ピッコロ。

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