カルト宗教だと思っていた団体の礼拝に出るようにまでなっていた話

カルト宗教だと思っていた団体の礼拝に出るようにまでなっていた話

私は、新興宗教の全てがカルト宗教だと思っていました。

でも正直、カルトということ自体、具体的になんなのかわかっていなかったです。

キリスト教とイスラム教と仏教とヒンドゥー教以外、すべてカルト宗教だと思っていました。

マイナーな宗教は、すべてカルト宗教だと。

 

そして、わたしはカルト宗教に興味がありました。

人生、一度は道を踏み外してこそ、人間が完成するとおもっていました。

だから、カルト宗教に関わってみたいと考えていました。

 

だからということもあり、摂理の御言葉を聞き始めました。

人生の問題を解決したいという心はもちろんありましたが、

それと同時に、ここがカルト宗教なのではないかという興味、

ここの御言葉と、教えてくれる人たちへの好奇心が大きかったです。

 

この先に一体何があるんだろう。

この人たち、一体なんなんだろう。とおもって聞いていました。

きっと、実態が知りたかったんだろうとおもいます。

 

あやしい儀式とか、ふしぎなおどりとか、人格が豹変するとか、

そういう人生のネタになるようなことを期待していました。

 

しかし、期待は外れて、みんな普通でした。

御言葉を伝えてくれる方が、御言葉の前に

いきなり歯をみがき始めたことには驚きましたが、(しかも人の家)

摂理というよりは、その人が変わっていたのだと思います。

 

宗教団体に潜入してみたんだ、ハハハと

友人との笑い話にしようかとも思っていました。

特に笑い話にすることもないまま、時が過ぎました。

 

特におかしなこともないまま、しかしわたしは疑いながら、

普通に御言葉を聞き進めていった結果、

御言葉を深く理解できていない状況となりました。

わたし自身が真剣に御言葉と向き合うことが必要でした。

 

御言葉は、人が信じても信じなくても、変わりません。

神様の絶対的な言葉だから。

わたしの考えが、どこに向かっているかでした。

カルトではないか、あばいてやろうという考えか、

この御言葉に真剣に向き合いたいという考えか。

 

御言葉のあら探しをしても、見つかりません。

(論理的な部分は、わたし自身は頭がわるいので信用なりませんが、頭がいい人も矛盾はないといっていました)

御言葉を実践して確認すること、実際に真実に祈ること、

やるべきことをやってこそ、前に進むことができました。

 

本当に正しい御言葉だと悟ったとき、

よくわからなかった先生という存在を心から認めるようになりました。

御言葉を伝えてくれる人たちを見下し、不審する心がありましたが、尊敬し、親しく思うようになりました。

自分のつっぱねていた主張を曲げ、彼らの主張を受け入れるようになりました。

 

今は礼拝に出るようにまでなりました。

気づけば、前より健康で、よい考えになってしまいました。

うまく乗り越えられなかった壁も、乗り越えるようになってしまいました。

道を踏み外していたのは、今までの状況だったのだ。

わたしは、人生の道を踏みはずそうと思ったら、正しい道に来てしまったのだ。とおもいました。

 

摂理に来ても人生は踏み外せませんが、正しい道にくることはできます。

興味のある方は、一度あそびにきてみてはいかがでしょう。

 

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