高校生のときに吃音症になった話

高校生のときに吃音症になった話

わたしは、続けて生きていくのに、重たいからそろそろ降ろしたいな、と

感じるような持ち物をいくつか持っています。

 

わたしはどうしても降ろせなかったひとつの持ち物を、やっとこさ降ろしたことがあります。

それが、「吃音症」です。

 

高校生の頃、ファーストフード店でバイトをしていました。

カウンターやドライブスルーで注文を受ける仕事をしていました。

はじめ、とっても緊張して、お客さんの前に立つのにビクビクしていましたが、

だんだんと慣れるようになりました。

 

そのファーストフード店はすごくストレスの溜まる環境でした。

市内でも一番の人気店だったので、土日はかなりのお客さんが来るし、

態度の悪いお客さんだっているし、

調理場のタイマーや、お客さんの話し声、いろいろな雑音でいっぱいでした。

 

何よりも速さを求められるから、少しでも時間がかかると、店長から「遅いよ」と言われていました。

しかし、こちらのスピードというよりは、

お客さんがメニューを選択するのに迷って遅くなるということが多かったのです。

 

お客さんにメニューを先に配っておくなど、やり方も色々ありましたが、その場の状況での限界がありましたし、

わたしの能力的にも足りない部分が多かったです。

なにもできない上に、文句を言われる状況にもどかしさを感じていました。

 

他にも色々ストレスになる要因があり、毎日押しつぶされそうな気持ちでいっぱいでした。

バイトに向かう日が苦痛でたまりませんでした。

 

そうしているうち、わたしは「いらっしゃいませ」が言えなくなりました。

発音としては、こんなかんじ。

「ぃ・・・・ぃいぃいらっしゃいませ」

無声型と言われる、吃音症の症状でした。若干連声型も入ってたかもしれません。

 

「吃音症」とは、言葉が円滑に話せない疾病、障害のことです。

不思議なことに、バイト先のお客さんの前でだけ、この症状が出ました。

 

「いらっしゃいませ」 必ずお客さんがきたら、言わなければならないことばです。

「ようこそおいでくださいました!」とかファーストフード店で言うのもどうかなという感じで、

自然な言い換えができなかったので、「いらっしゃいませ」は避けては通れないことばでした。

 

他にも言いづらい単語はあったのですが、

とにかく「い」が言えなかったのは憶えています。

接客業を続けていく上で、本当に困りました。

 

そのうち、他のことばがどんどん言えなくなりました。

たぶん、い行のことばが言えていなかったとおもいます。

 

上手くものを言えないのは、本当につらかったです。

なんだかよくできない人のようで恥ずかしいし、

この人は大丈夫か?みっともないと思われているのではないかと心配でした。

 

吃音症について、どうにか治せないものかとずっと調べていました。

スキャットマンという有名人が、吃音を生かして歌手になったことを知って、

それを慰めにして過ごしたりもしました。

 

発音の練習をしたりもしました。

一人でいるときはなんでもしゃべれるけれど、人を前にするときがだめでした。

 

わたしがそれを治したというか、吃音症から離れるようになったのは、

アルバイトを楽しむようにし、余裕を持つようになってからです。

特に、ドライブスルーでは相手の顔を見なくて済みますから、吃音の症状が出なくなっていきました。

 

お客さんや先輩に注意されたり、怒られることがストレスの大きな原因でしたから、

仕事が慣れるにつれ、できることも増えてから、少しずつしゃべれるようになりました。

 

大学生になって、わたしは多少ストレスを感じるときや、早口のときにどもるくらいで、

はじめに言ったような、無声型の吃音は全く出なくなりました。ちょっとは出るけれど、かなり緩和されました。

 

ところで今週、こんな御言葉を聞きました。

夜がいくら長くても、結局終わりが来るでしょう?
これと同じく、困難も逆境も試練もずっと限りなく来ることはありません。
つらいと叫んだり、もどかしく思っていたりしたら、もっとやきもきするばかりです。
口をつぐんで、希望ですべきことをしながら行かなければなりません!
その時がそれなりに「よいものを得る期間」です。

2017/06/25 主日の御言葉

あのときのわたしが聞いていたなら、どれほど力になったことだろうとおもいました。

 

もっと明るく壁を乗り越えることができたんじゃないかとおもいます。

もっと視点を変えられたら、得るものも多かったのではないかとおもいます。

 

わたしは御言葉通りに考えるだけで、他の持ち物も、軽く考えることができました。

神様は、もっとよいものをくださろうとしているのだと思うと、力が湧いてきます。

もがき苦しむか、楽しんで乗り越えるかで大きく違います。

 

重たくて仕方がない持ち物を、ここで降ろすのか、最後まで持って歩くのか、

どちらにしても、神様の御言葉通りに生きるなら、そこで得るものが必ずあるのだとおもいます。

 

神様の御言葉は、心の慰めになるというよりは、

ひとりでも自分の身を守り、困難に立ち向かい、生きていけるように教育してくださることばだと聞いたことがあります。

 

まさにその通りだと感じました。

わたしを強くし、ひとりでも立って歩けるようにしてくださる神様に感謝します。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 10 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. by りお

    ハレルヤ!ほんとに経緯ぶかい子だなー

    • by hana

      困難があると、神様に話せることも多いですね^_^!

  2. by septcouleur

    私は吃音障を小2の頃から苦しんでいる者です. ブログ読んで摂理にも同じような苦しみを味わい、また解決していった経緯が私と似ていて感動しました.
    家庭環境が悪く、それが原因で吃音障になりました.先生も最初は吃音障に悩まれていたそうですね、、

    摂理に導かれ、たくさん御言葉を学び祈り、私の中に主が共にされているということを悟ってから、それ以来自分に自信を持つようになりその症状はかなり改善されつつあります.
    今は歌手などの人前に立つ使命を頂いたり、命に御言葉を伝えるなど、以前とは考えられないほど変化するようになりました^^
    人生を変えてくださった主に感謝します

    • by hana

      すごい〜〜!本当にハレルヤですね(^^)
      御言葉でどんどん変化して、
      様々な障害を乗り越えていく人たちをたくさん見てきました。

      ひとりでも多くの人が、
      霊肉ともに救われるようになってほしいです^_^

  3. by sirokuma

    ハレルヤ!
    困難があっても、その中で悟れることが本当にたくさんありますね。

    • by hana

      そうですね、そんな悟りができるようにしてくださって感謝です。

  4. by prov人生

    御言葉は
    ほんとうに人を活かす言葉ですね。

    • by hana

      あめん!

  5. by koromo

    はじめまして!
    摂理に来る前は、失敗ばかりでそれを隠していい子でいようとする自分を何度も責めて死にたいと強く思っていました〜(´・_・`)生きてる理由を御言葉で教えてもらい、死から救ってもらったことを本当に感謝しています。
    ただ、今でも思考の病気が抜けきらず、自分の気持ちを表出するのが苦手なのですが、だんだんと精神が落ち込んでぐちゃぐちゃになってしまうことが見受けられるので、御言葉と祈りと、プラスで肉的な専門家の力も借りようかと考えています…。怠惰なんだよと言われるとそれまでなのかもしれませんが(*´・v・`)ちゃんと直して、正常な心で今年を走り切りたいです!ブログにチカラを受けています!!!感謝です!✨

    • by hana

      こんにちは!
      そのように、現状をなんとかしようと、抜け出したいともがく姿を、
      神様は本当に愛らしく思っていらっしゃるんだろうなとおもいます。

      koromoさんのように神様と共に行うとき、必ず助けてくださるし、乗り越えることができるとおもいます。
      専門家を通しても働きかけるとおっしゃいますよね、賢いやり方だとおもいます^_^!

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