高校のときの友人と久しぶりに会ったら、まるで話が合わなくなっていた話

高校のときの友人と久しぶりに会ったら、まるで話が合わなくなっていた話

最近、高校の時の友人とたまたま会うようになりました。

わたしがカフェで作業をしていると、その子がすぐ外を通りかかったのです。

一瞬顔がわかりませんでしたが、相手も気づいたので、友人だとわかるようになりました。

 

友人は、高校のときに3年間同じクラスだった子で、いつも共にしていた子でした。

わたしも友人も、家から50分かけて自転車で高校まで通っていましたから、

帰り道は50分間話をしながら一緒に帰っていました。

 

毎日毎日、四六時中いっしょにいる相手ですから、ときには会話がなくなることもありましたが、

今考えれば、あれだけいっしょにいたけれど、それにしてはよくしゃべっていたなと感じます。

 

わたしたちは、そのカフェでしばらく話をしていましたが、だんだんと話が合わなくなりました。

わたしと友人は、生活も考え方も違いました。

対話をしても話が前に進みませんでした。

 

友人は、あることで悩んでいました。

それによる寂しさを紛らわすため、さまざまに行なっていました。

わたしは、今の方法では、友人の問題は解決できないと感じました。

 

わたしが御言葉の話をしようとすると、

「hanaがそういうことを話すなんて」と笑われ、あまり真面目に聞いてくれませんでした。

そういえば、友人といっしょに深い話をしたことがなかったし、わたしはいつも教えてもらう立場でした。

それで友人は、私の話を聞き入れませんでした。

 

わたしの共感力が低いこともよくありませんでした。

相手の心を解くようには、話せていなかったとおもいます。

相手の気持ちがぽっかり想像できませんでした。

なんとなくわからないわけではありませんが、わかりませんでした。

 

「hanaにはわたしの気持ちはわからないよ、いずれわかるよ」と言われました。

 

昔から、「人の気持ちがわからないね」とよく言われました。

完全にわからないわけではありませんが、確かによくわかっていませんでした。

 

女子は、空気を読んで心情を読む力が備わっているなあとおもいます。

周りの子達は、心情を読むレベルが高いのと、心情が複雑だったから、ついていけませんでした。

よくわからずに話してしまって、よく人を怒らせていました。

 

今のわたしの発言で怒ったの?悲しんでるの?どういうことだろう。といつも不思議でした。

中学生、高校生って多感ですよね。

あの頃に戻る技術は、未だに持つことができていないと感じます。

 

相手に「なんで怒ってるの?今の発言はどういう意味だったの?」と聞いても、

「もういいよ」と突き放されるばかりでした。

だからフィードバックができませんでした。

 

心情衝突のバグは、だれも修正してくれないので、自分で推測するしかありません。

中学のときにいつも悩んでいたことは、人間関係のことでした。

相手の心情がわからない、人との接し方がわからない、といつも悩んでいました。

 

「もういいよ」「あなたにはわからないよ」

本当に聞き飽きた言葉でした。昔は、ただただ落胆するばかりでした。

 

その言葉を、昔の友人に再び言われました。

わたしは、彼女の気持ちははっきりとわかりませんでしたが、

今の状況から抜け出したい思いがあることはわかりました。

でも、彼女の今の方法では解決できそうにありませんでした。

 

昔と違い、今のわたしができることがあります。

御言葉で解決すること、神様にお祈りすることです。

 

相手にどうしたい思いがあろうが、神様の思いは、御言葉によって明白です。

御言葉によって分別したことには、迷いがありませんでした。

そして、相手の心を変えるのは、神様にしかできないことです。

だからわたしは、神様に祈ることにしました。

 

友人が今の状況から抜け出せるように祈り、

わたしが何をしたらよいのか、すべきことがあるのか尋ねました。

 

それで、友人の心のうちを、もう少し聞いてみることにしました。

そうすると、彼女の今の問題の根本的な理由がわかるようになりました。

それを知ったから、もっと具体的に話したり、祈ったりできるようになりました。

 

ただよくなかったのは、淡々と聞いてしまったことでした。

なるほど、それはこういうことで、こういうことなんだね、と事務的に聞いてしまったので、

それは大変だったね、ともう少し心情をわかって聞いてあげられたらもっとよかったな、と後から悟り、

心情をわかって、愛で接する研究もしないといけないとおもいました。

 

友人と対話する中で、友人は少しずつ変わり、わたし自身も変わったことを感じました。

同じ道を歩いていたはずだったけれど、いつの間にか歩く位置がだいぶ離れ、距離ができたことを感じました。

大人になると付き合う友達が変わるという話をよく聞きますが、これがそういうことだとおもいました。

いいか悪いかというより、この現象が起きていることがふしぎだとおもいました。

 

友人と接する中で思い出しましたが、

わたしは人と接する中で、知らないうちに相手を傷つけてしまうことが本当にたくさんあります。

それはきっと、神様に対してもそうなのだろうとおもいます。

神様の心情にふさわしく接してさしあげたいし、神様の心で人にも接してあげられるようになりたいです。

 

あなたはここを変えられると、もっといいね。と神様に教えてもらえたようです。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 3 )
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  1. by tomico

    hanaさんこんにちは^ ^

    この記事を読んで、わたしも先日、大学時代に仲の良かった友人とごはんに行ったのですが、話が続かなかったことを思い出しました。
    昔は夜が明けるまで笑って話していたのに…。
    先生がおっしゃるとおり、人は考えで生きているんだなーと実感するしかありませんでした。同じ世界に住んでるのに、不思議です。

    私の友人も、今後の人生をどうしていくか悩んでいるところでした。
    ミコトバを学んだらいいよ、と伝えたかったけど、グッと我慢しました。
    以前、聖書を学んでいると言ったらとても怪しまれてしまった過去があったからです。

    答えを知っている分、伝えてあげたいけど、
    伝『えられない』こと、伝『わらない』ことはもどかしいですよね。

    今では到底理解できないような友人の話や悩みも、以前は自分も持っていたものだから「どうして?」「なんで?」と思って高慢になってはいけないなーと思いました。

    先生のように、一人一人を理解して分かってあげて、愛してあげて、ミコトバで解いてあげる、そういう人にならねばと私も改めて決心しました。

    • by hana

      あーめん〜〜!
      自分自身が先生のように行ってこそ、その人も心から納得出来るんだろうなとおもいます。
      うまく伝えられる人になりたいな〜!

  2. by なつき

    いくつか記事を拝見して、説得力のある文章を書かれる、頭の良い方だなと思いました!
    そしてきよさを感じます。
    これからも読ませて頂きたいと思います!

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