普通に落ち込んだあと、立ち上がるときの話

普通に落ち込んだあと、立ち上がるときの話

神様を信じていようといなかろうと、人が落ち込むことは大小あります。

ていうか、いま、わたしは落ち込んでいます。

すべてのことがうまくいくときも、

なにもかもうまくいかないときもあります。

 

やるべきことがたまって、あまりにも終わりが見えなくなったり、

がんばってやっても、全然前に進まなかったり、

なんだかわからないけれど、力が出なかったり、

やるべきでないことをやってしまって、心が沈んでしまったり。

 

それで、もはやそのままですが、

「落胆するとき」というキーワードで、御言葉を探してみました。

 

今日、皆さんに言いたいのは、皆さん喜んでください。

先生がいつもつらく大変なとき、御子がおっしゃる言葉が一つあります。

「喜びなさい、感謝しなさい。つらく大変だけれども、感謝しなさい。喜びなさい。

『困難で終わらない』ということを喜び、感謝しなさい。

このまま終わらないことを喜び、感謝しなさい。

むしろ、喜び感謝することによって困難を乗り越えなさい。

喜び感謝しなさい。いつも喜んで感謝しなさい。

新婦はいつも感謝、つらいときもいいときも、落胆するときにもどんなときでも、

いつでもどこでも喜び感謝しなさい

2014年3月23日 西日本真理聖霊集会

 

どの御言葉を読んでもこんなかんじです。喜び、感謝しなさいと。

落ち込むよりもむしろ感謝して、

むしろもっと愛して、むしろもっと祈りなさいとおっしゃいます。

 

摂理って、むしろが多い気がします。

ここでいう「むしろ」は、前文を否定する意味です。

 

楽な考えよりむしろ、苦しいけれど正しく生きる考えを選ぶのが先生です。

敵に攻撃されて嫌いになりそうだけれど、むしろ愛する。

体が辛くて休みたいけれど、むしろもっと極限までやる。

二つの考えから、神様から見た善の考えを選ぶ。

 

わたしもさっき落ち込んでいたと書きました。

記事を書くのに、御言葉を読んでいくうちに、大丈夫になってきました。

 

しかし、落ち込む沼にはまってしまったとき、なかなかそこから動けません。

思ったよりも周りの泥が固くて、

はじめから完璧に立ち上がれないときがあります。

なかなか善の考えを選ぶことができないときもあります。

 

わたしはそういうとき、少し休んで、肉的にも体力をつけたら、

まずは、指を動かすところから始めてみます。

足をバタバタさせて、頭も回してみて、体勢を少しずつ変えてみます。

 

身体だけのことではありません。そのように、

指を動かすことならできるから、

それくらいのできることから始めてみたらいいんじゃないでしょうか。

 

自分からはるか遠くに感じるかもしれないけれど、

御言葉やお祈りや賛美、神様のものを眺めてみるといいですよ。

やっぱりあっちに行きたいなあと思えば、しめたものです。

 

それで、自分の思ってることも、本当はこうしたい思いも、でもできていないことも、

そして感謝の思いをひとつでも思い出して、全部主に話してみます。

主に申し訳ないとか考えないで、ひとまず全部話してみるといいですよ。

それで、主が何をおっしゃるのか聞いてみると、さらにいいです。

 

自分で抜け出せないなら、主にひっぱってもらうのがおすすめですよ。

救い主はその名の通り、救うためにきたから、ひっぱってもらえばいいのだとおもいます。

それから、主が愛していることも思い出してみてください。

わたしは忘れっぽいので、いつ愛を感じたのだっけ、とちゃんと考えないと思い出せません。

 

助けてもらって、また感謝して、主との経緯ができます。

ひと段落したあとには、いい思い出だなあとおもいます。

助けてくださって感謝だなあとおもいます。

 

感謝することや喜ぶことにいきつくまでに、

なにかもやのようなものがあって、道すじが見えないときってありますよね。

もやができるタイミングとか、自分にとって行きやすい道のりを発見してみるといいですよ。

 

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