歴史を知ることが自分を知ることだと感じた話

歴史を知ることが自分を知ることだと感じた話

聖書は、6000年前から今に至るまでの神様の歴史が書かれている本です。

摂理にきて聖書を学び、より歴史について考えるようになりました。

わたしは、中学高校と、歴史の勉強が苦手でした。価値がわかりませんでした。

 

価値がわからない上に暗記が苦手でしたから、歴史の授業はつまらなかったので、よく遊んでいました。

よく関係ないことを考えていて、特に塾では、名指しでするどく怒られたこともありました。

わたしは怒られるのも嫌いでしたから、それによって、一層歴史が嫌いになりました。

 

歴史が本当に嫌いだったがゆえに、高校では理系を選択しました。

それで高校二年にして、ようやく社会科の中では、歴史から離れ、地理に免れたのです。

 

歴史の勉強はしていませんでしたから、あまり覚えていませんが、

人の名前と年号を覚えることが主な勉強だったかとおもいます。

それを覚えて一体何になるのかとおもいました。

 

国語は、文章を読み書きする上で基本的に必要なことです。

数学は、日々買い物をするときなど、計算をするときに必要です。

高校の範囲はいつ必要になるのか未だにわかりませんが、まあ楽しかったのでいいです。

理科は、サバイバルなどで必要になりそうです。

英語は、外国人に道を聞かれたとき必要。

 

では社会科は?

日本史、世界史、いつ使うのでしょうか。

縄文時代の土器を完璧に暗記して、誰が何年に栄えてどんな文化が栄えて、

これを学んで、一体何になるのかわかりませんでした。

興味のある人は楽しそうでしたが、わたしは興味がありませんでした。

 

今となっては、歴史は繰り返すと言いますし、

そのときのできごと・文化が今とつながっていることも、生活の中で垣間見ます。

歴史を知ることで、今の生き方につながるのだなということも少しずつわかります。

 

しかし幼い頃は、ただただ知識として植え付けている状況で、

教科書に書いてあるひとつひとつの事柄を、

現実にあったこととして見て、自分のことにつなげることができませんでした。

 

というような歴史嫌いの中学高校時代でしたが、

今は、もっと歴史を学びたいと考えるようになりました。

特に、聖書について、神様が中心的に働かれた歴史について。つまり世界史に近いことを。

10年前のわたしから見ると、本当にありえないことです。

 

聖書について学ぶ中で、

神様はどのように人々に働かれたか、神様が共にした人々の姿を知るようになりました。

過去に生きた人物は、いるのかいないのかもわからないと感じます。

 

しかし、先生が御言葉で、よく実感できるように話してくださったことで、

だんだんと彼らが実際に生きて存在したことを、確信を持って感じられるようになりました。

今までに生きた人物一人一人が行なったことの上に、自分が生きていることをわかるようになりました。

 

神様が彼らと共にし、聖書の人物が成功し、失敗し、アクションを起こさなければ、

わたしは今このように生きられていないし、神様を知ることもなかったとおもいます。

わたし自身とつながっていることと考えると、一層知りたくなります。

 

聖書は他の誰でもなく、自分の話なのです。

だからみんな、聖書に何が書かれているか、学ぶ必要があるのです。

誰かが行なった武勇伝のような話も出てきますが、それは自分も同じように行うことができるし、

誰かが失敗した話も出てきますが、それは同じく自分も気をつけなければいけないことなのです。

 

誰の歴史でもいいわけではありません。

例えば、近所の山田くんがどう生きたかを知るだけでも、ひとつ体力を使います。

興味本位で知りたいこともあるとおもいますが、そんなに知らなくてもいいかなともおもいます。

それよりは、聖書に出てくるヨシュアやダビデひとりの人生を知ることが大きなことだと感じます。

それは、神様が彼らと共にしたからです。

 

神様がダビデを通してどのように働かれたか、ダビデは神様にどのように仕えたか、

それを知ることで神様をもっと知ることができます。

つまりは、神様をもっと知るために歴史を学びたいと感じるのです。

 

 

そして、神様が行われてきたことを知ってこそ、神様の話される御言葉をもっと理解できるとおもいます。

歴史から神様が喜び、悲しまれた姿を知ることができます。神様の愛を知ることができます。

 

ただ単に、人物名を覚えて、地名を覚えて、それだけが歴史ではないのだと気づきました。

そのできごとを通して、自分は今この時代に何を学ぶべきか、何を考えるべきか、

奥深くまで知ることができるのが歴史だと感じています。

 

今わたしがここで生きている時代は、今だけの時です。

今を満足に生きなければ、もったいないです。

多くの人は自分で道を選択できる、自由な時です。

こんなにも恵まれた時代があるでしょうか。

 

どうせなら多くの選択肢の中から、一番いい選択をしていきたいし、

どうせなら自分にとって最もよい道を生きていきたいです。

それを知るヒントになるのが、歴史だと感じたのです。

 

この歴史の上に今の御言葉を知れば、

御言葉が繋がり、意味が繋がり、わたしも実感を持って悟ることができます。

聖書から歴史を学び、自分が今どの位置にいるのか、もっとよく知っていきたいです。

 

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