修論を提出するまでの3週間の記録

修論を提出するまでの3週間の記録

12月もおわりです。
そろそろ卒業論文、修士論文、博士論文を提出する時期ではないでしょうか。

「卒論 やばい」「卒論 終わらない」「修論 書けない」
こういう検索が増えてくるのではないでしょうか。

わたしも先日、修論を提出しました。
しかしこの後、発表・審査があるので、全然心が安らかではありません。
でもひとまず終わったのと、たくさんメモが書き溜まっているので、
修論提出までの経緯を記事に書いてみました。

これを見てみると、わたし全然計画的にできていないのです。
むしろ大丈夫かいなレベル。しかし、誤解するべきではないことは、
摂理人だからうまくいかなかったわけではなくて、わたしが上手くやらなかったのです。

他の摂理の人はうまくやっています。
でもわたし、こういうのいつもギリギリになっちゃうのです。
しかも、学生最後の1年だ、このときしかない。と、いろいろなことをやりたくなっちゃって。
短い摂理歴ですが、その中でも最強にいろいろなことをやっていたのです。

また、いきなりやるべきことが降りかかる(しかもわりとヘビー)というのは、
摂理に限らず常々あるものです。

いろいろなことをやっていた中で、この日はせめて研究しよう。と、
ポッと研究室に顔を出しても、それまでの感覚がないから、何から始めたらいいのかわかりません。
なにをどうやってやるんだっけ・・?と思い出して手探りで進めているうちに、その日の時間が過ぎていきます。

最終的には、(神様が送ってくださった感はんぱない、めちゃめちゃ面倒見がいい)教授と
事細かに相談をしながら進めていくことで、やっと、今の状態にたどり着きました。

わたしはやっぱり優先順位のつけ方がへただなあとしみじみおもいました。
本業だし、修論が大事なことはわかっているけれど、
他のことが、なによりももっと大事なことのようにおもえてしまっていました。
実際、なにがどうなのかは、神様にしかわからないから、大事だったのかもしれませんが。

それからわたし、研究が苦手なんだなあとわかりました。
論理的にも批判的にも考えることが苦手です。
アイディアが湯水のように出てくる分野と、
どうしても枯渇してしまって、1滴も垂らすことができない分野があることがわかりました。

そういうことにも挑戦したらいいし、乗り越えたらいいけれど、
それ相応の努力と覚悟が必要です。
やるならそれだけに投資するくらいの勢いが必要でした。

というような反省もふまえて、結局はぜんぶ神様との経緯と歴史になるなあとおもって、
修論を書きながら、そのときの状況を記録していたので、記事用にまとめました。

それに加えていろいろと夢中で書いていたら、
なんかすごい長くなっちゃったので、3本くらいに分けようと思います。

情けなさはんぱないし、正直、全くもって見本にならないのですが、
これを見た人が計画的にやれたらいいなとおもって書きました。
卒論や修論の参考になればいいなとおもいます。なるかわからないけれど。

あと、摂理で色々やりたいなら、大学3年とかM1の間に悔いなくやっておくといいです。
それから、摂理で過ごすうちにどんどんやりたいことが増えてくる可能性があるから、
いま摂理に来ようか迷っている人は、ほんと時間があるうちに摂理に来といた方がいいです。
でも各自、ふさわしい時があるから、一番いい時に来れたら。

どういう世界か、どういう御言葉か、飛び込んでみないとわからないし、
なんか微妙だと思ったら、途中でやめればいいじゃないですか。
摂理は盗聴とかストーカーとか無言電話とかそういう高度な技術を持ち合わせていないので安心してください。
ていうか、そんなことやってる暇ないし、そんなことしてたら神様に怒られる。

わたし、一応名目は指導者だけれど、みんなの住所とか知らないし、
わたしの住所もたぶんみんな知らない。そもそも使う場面がない。

話がそれたけれど、とにかく、やりたいことがあるなら、
毎瞬間思いきりやっておくのがおすすめということです。

 

 

提出21日前
生理前と扁桃炎で精神も肉体も死んでいたところから、今日やっと復活した。
その間、論文に手をつけられなかった。
論文を書いていないことを教授と友人に伝えると、やばいよといわれる。
しかも、うすうす感じていたが、追加実験が必要なことが今日わかった。

 

提出16日前(作業内容:実験)
ようやく追加実験が終わった。
初回の実験は2ヶ月で30人程度集めたけれど、
今回は5日間で28人実験できた。奇跡。ありえない。神様マジ感謝。
今まで知り合った人全員にひたすら声をかけた。
頼める教会メンバーみんなに実験参加してもらった。
協力してくれたみんなに祝福がありますよう。

最近、研究を進める合間、絵を描いて気を紛らわせている。
最初は何十分もかけて描いていたけど、今は10分で描くようになった。
今日の御言葉、先生も隙間の時間で絵を描く、行なう。という内容だった。

明け方の御言葉:
一日を使う時、その時その時「隙間の時間」をつかんで絵も描き、詩も書き、ある時は箴言も書いた。
時間は消え去ったけれども、絵になって残り、文章になって残った。永遠に残るようになる。
<実践>して「実体」を残すことだ。見せることだ。三位と主と、喜びの宴会をすることだ。

以前からその話は知っていたけれど、先生だからできるんだと思っていた。
でも、やろうと思えばできるものだと思った。
単にすきなものを描いているうち、絵で栄光を帰すようになった。
ブログにまとめて書けない文章も、ツイッターでちまちま書いた。
写真も、撮りためたものを1枚ずつたまにインスタグラムにアップした。

(ただSNSやってるだけのように見えるけど)
小さいことを小さい時間を使ってやるってこういうことだ、なんでもできそう。と思った。

<はした金>を貯めて「大きいもの」を買うように、「隙間の時間」を貯めて「大きいこと」を行なって得なさい。

 

提出14日前(作業内容:分析)
実験結果を分析した。いつの間にか6時間が過ぎていた。
先生も文章を書いて、気づけば何時間も経っていた、とよく話されるけど、
きっとこんな感じだ、と理解した。先生がすごいのは、これを何度もやっているところだ。

実験結果が出た。なにかしらの文章は書けそうだった。
一日が千年のようだったし、一秒のようだった。

 

提出12日前(作業内容:分析)
心がつらく、こういった状況を乗り越えた事例から勇気をもらいたい思いから、
つい、ネットで「修論 やばい」で検索してしまう。

分析の方法を間違えていたことに気づいた。やり直した。
動悸がたまにおかしい。論文は終わると思うけれど不安感が強い。たぶん主を忘れている。

夜、礼拝に行った。
ゲンコツが入るくらいの穴でも、頭からつっこんで行けば、隙間から通って行った。
という先生の言葉に元気をもらった。わたしも頭からつっこもう。

そのときの御言葉:完成すれば天国だ

 

提出11日前(作業内容:考察とゼミのためのパワポづくり)
まだ考察を考えきれていない。
スケジュールはどんどん後ろ倒しになっている。
このままだと、本文を1週間で書くことになる。

この日、12時間寝た。朝のお祈り会に行けなかった。
御言葉も読む気がしなかったけれど、やっぱり良心に負けて読んだ。
こういうときに限ってしみる御言葉に出会う。

いつも前もってやらなければならない。そうすれば急いで走らなくてもいい。
急ぐ時ではないので、やることがないと言って、余裕ぶる。
そうしていてすべきことが襲いかかったら、あたふたやる。
<すべきこと>なら今始め、前もって行ないなさい。

卒論・修論を控えるすべての人が読むべき御言葉だとおもった。

<文章を書く時>は、「一文」を書いておいて、
字と内容をちゃんと書いたか確認し、また「一文」書いて、
字と内容をちゃんと書いたか確認しながら書くべきだ。その都度確認して、次のものにつなげて書くべきだ。

<すべてのこと>もこのようにすべきだ。一つをやったなら、確認してからまた一段階をしなければならない。
やりながら「全体の方向」が合うのか、ちゃんと見なければならない。

ほんそれ。ほんとアーメン。ほんアー。

LINEの返事をする気が起きないけれど、他のことに逃げたい思いから、何度も見てしまう。
既読をつけた後のリマインダー機能が欲しい。

のどの様子がおかしい。口を開けたまま長い時間寝たからだ。

 

提出10日前(作業内容:ゼミのためのパワポづくり)
明け方のお祈り会前、嫌な予感がし、コンビニで龍角散とトローチを購入する。
直感、予感は大事だ。のどが痛い。たんがとれない。うまくしゃべれない。

この期間だけは体調を崩さないように、とお祈りはしていた。
しかし、責任分担を果たせなければ、体調は必ず崩れる。
みんな、気をつけて。

夕方、ゼミがあった。
研究内容をうまくまとめきれておらず、なかなかみんなにわかりやすく伝えられなかった。
教授Aに論ができていないと言われ、分析をやりなおすことに。

礼拝に行った。
そのときの御言葉:神様はアルパで始められたら、オメガで必ず行なわれるから、希望で最後まで行ないなさい。

99%不可能でも、1%の可能性を持っているなら、
一歩踏み出し、そこからさらに一歩を踏み出して一歩ずつ歩くように、一つずつやっていけば、できます。
神様は<一度始められたこと>は必ず100%なさるから!!
私たちさえ中断せずに神様と主と一体になって最後までやれば、結局全てできます。

「できない」と言ったら、行なわないからできないし、
「できる」と言ったら、行なうからだんだんできます。

神様の始められた計画に、わたしの修論のことも含まれているはずだと思うことにした。
自分さえやればできる。

 

提出9日前(作業内容:分析し直し)
朝、のどが痛いし、いろいろと余裕がないけれど
がんばってミーティングに向かった。が、人数不足により中止になった。
私の労苦は一体。事情を聞くと、みんな風邪で休んだのだという。
風邪?かぜ?そうか、かぜのときって休めばいいんだ。と気づいた。
いつも休むことを忘れて限界までやろうとしてしまう。

昼、「修論 やばい」と検索するのではなくて、
苦しいとき、神様の御言葉を読み、神様の精神を学ぶべきだとおもった。

神様の御言葉を読んでいるうちに、
どうせやるなら、なんとかなる、と苦痛に耐えて流れて行くのではなく、
なんとかしよう、と強い意志を持って治めていこう。と認識が変わった。
人の言葉は、壁がぼやけて不安を和らげるけれど、神様の言葉は、壁を安心して見つめるようにする。
壁は壁だ。

 

提出8日前(作業内容:分析し直し)
忙しくても礼拝だけは必ず守っていた。
卒論のとき、忙しくても主を優先させたときほど得るものが大きいことを体験したし、
自分がどういう状態だとしても、神様は変わらずに待っていらっしゃるから。

「神様と主の考えどおりにしなさい」

希望的な御言葉だった。泣いた。
御言葉にはいつも希望しか見えない。

 

提出まで残り7日(作業内容:研究内容を整理)
明け方、祈りながら、
もっと切実に、神様と主と一緒に生きようとしなくちゃいけない。と強く感じた。

明け方後、今年1年のことを考えた。

もっとうまくやればよかったなとすごく感じるけれど、文字どおり力尽きるまでやった年だとおもった。
いろいろな方面において、100%やったけれど、方向がまちがっていることも多かった。
次元を上げるべくはそこだとおもった。
主に尽くしたし、力を尽くしたし、力尽きた。わたしの今年の漢字は「尽」だ。
とかよくわからないことをいろいろ考えていた。

昼、研究の流れについて、いつもお世話になっている教授Bに聞くことにした。
いい結果じゃないですか、考察に関しては〜〜の流れでいいと思います!と教えてもらえた。
答えは見えたけれど、その瞬間ではなかなか理解できず、
1人でじっくり考えてみるとようやくわかってきた。

主の御言葉も、同じくわかったつもりでもわかっていないのだと感じた。
御言葉は、よくよく読み込んで考えないと、何言ってるのかわからないし、
何がどう自分に当てはまるのかわからない。
御言葉は問題に対する答えだけれど、何に対する答えなのか、
神様が自分に何を言おうとしているのか、そういうことを発見しなくてはいけない。
祈って、もう一回読んで、実践して、自分で落とし込む過程がこのように必要だとおもった。

提出一週間前にして、だんだん論文に対するやる気が下がってきた。

 

提出6日前(主な執筆部分:方法・考察)
寝る前、延々と研究の内容を考えてしまう。
あれはこういう意図があるからこのことはしなくていい。
この研究ではこれが重要であって、あの時言われた意見は、意味をなさない。
先生はこれが言いたかったはずで、だからこの流れはこの分析で正しいはず。
そんなことを考えているうちに、めざましが鳴り、明け方のお祈りの時間になる。
脳がずっとくるくる動いているから、休んだのか休んでいないのかわからないまま教会へ向かう。

昼、やる気が消えてきてしまっている。
図書館、カフェ、家、場所を変えてがんばって保っている。ようで、保てていない。
代わりにやりたいことがいっぱい浮かんでくる。

 

提出5日前(主な執筆部分:方法)
のどの痛みはあっという間に消えて、今度は咳が出るようになった。
咳がうるさいし、みんなにうつすと悪いから、
教会の別の部屋や、家で守るようにした。風邪だから、無理しなくていいのだ。

昼、教授からのメールとメモをひたすら読み返し、
これはこういう意味で合っているのかと何度も確認し、教授の意図通り行おうとした。
そうしながら、神様の御言葉に対しても、そのように忠実に実践しようとしていなかったことに反省した。
自分に当てはまる御言葉である感覚を失いかけていた。ていうか失っていた。

御言葉がむずかしくて、自分にどう当てはまるのか、わからないことが最近多かった。
話がビッグでうまくつながらないことが多かった。
御言葉を聞いてもすぐ忘れ、読み返さないことも理由の一つだった。

教授のメールも何度も読み返して確認するのに、
神様の御言葉は読み返さないなら、そりゃわからんわ・・とおもった。
神様、ほんとすいません・・

 

提出4日前(主な執筆部分:方法・考察)
論文提出のための書類に、ある先生からの印鑑が必要だった。
その先生に大学でお会いできる時間は、今日の昼、30分間と決まっていた。
しかし、わたしが用意した書類に不備があることに提出10分前に気づいた。
このくらいなら大丈夫だと思ったし、周囲の人も大丈夫だろうと言った。
けれど、その先生は受理してくれなかった。

不備をどうにかするには、一旦、自宅に帰るしかなかった。
大学から家までいつもなら15分かかる。往復で30分。もう残り25分しかない。
急いで帰宅して不備を備え、締め切りギリギリで滑り込んだ。
自転車をこぎながら、主の精神は最後までやることだ、とずっと自分に言い聞かせた。

担当の先生はあまり笑わない人だった。
再提出で怒られるとおもったけれど、汗だくのわたしを見て、
そのくらいの気力があるといい、と笑って受理してくれた。神様ありがとう・・

天国もこのように、1つでも自分に不備があれば入れないんだろうと思った。
ギリギリでもなにがあっても完全な状態にして行かなくちゃいけないと思った。

あと、明け方、このような御言葉を聞いたのだけど、

問題にばかり神経を使うと解決できない。
私聖霊に神経を使えば、私があなたの頭になって解決する

…私聖霊に集中し、神経を使いなさい。
私聖霊に100%頭を委ね、
私聖霊に知恵を尋ね、学び、
私聖霊から問題の答えをもらって、実践しなさい。

問題は、尋ね、答えをもらうことだ。
私に尋ねてこそ答えを与える。…

論文を書いていて、途中で何が何だかわからなくなった。
聖霊様に祈ったら、行き詰まっていた考察が、スルリと進んだ。
やばい、なんだこれ。

 

提出まで残り3日(主な執筆部分:考察)
教会の牧師さんから、LINEが来た。
体調、大丈夫?と。
そんなによくもなかったので、悪くはありません、と答えた。

連絡をしてくるから、何か頼みごとがあるのだろうと待っていたけれど、体調の話で終わった。
あれ、おかしいなとおもったけど、それだけだった。
人はみんな、用事があってこそ連絡をするものだと思いこんでいたことに気づいた。

単純に心配してくれる人がいてうれしかった。
心が殺伐としていて、いろんなことを忘れてしまっていた。

 

提出2日前(主な執筆部分:背景)
余裕がないときでも、いつも神様と共にすることは、どうしたらできるのかについて祈っていた。
小学生のとき、姿勢を正すのに、グーひとつ分空けて座ると習った。
そのように、神様の分のスペースを空けておいてやればいいんだとおもった。

この悟りあってるのかな。

 

提出1日前(主な執筆部分:概要、図や表の作成)
礼拝に行った。
今日も別の部屋で守ろうと思ったけれど、行く途中で、教会に来た子に出会って、
話しながらつい一緒に入ってしまった。久しぶりにみんなのいる場所で礼拝を守った。
よく泣いた日だった。

教会のお姉さんに、修論明日提出なんですよ、やばやば。と話すと、

学業と信仰生活との両立、むずかしいよね。
教会でもあれもこれもやっているし、それをしながらよくがんばっているよ。
と、いっぱいわたしの立場をわかっていっぱいしゃべってくれた。
わたしの気持ちをぜんぶ代弁してくれたので、心が解けるようだった。

神様さえ、わたしのことをわかっていればそれでいいんだとおもっていたけど、
だれかにわかってもらえるって、救われるなあとおもった。
自分があまりにもうまくできないことを責める気持ちがあったけれど、とても楽になった。泣いた。

 

それと、この前LINEをくれた、その牧師さんが遠くに行くことを知った。
もうそろそろ行くんだろうなとおもっていたし、特に悲しくなかったはずだけど、
なんだか涙が止まらなかった。なんであんなに泣いたのかよくわからない。

昼、あったかいうどんを食べたのだけど、涙が一滴、うどんに落ちてしまった。

わたしがはじめて御言葉を聞いたとき、その牧師さんにたくさん教えてもらった。
本当にたくさんよくしてもらった。でもいいことばかりでもなくて、うまくいかないこともあった。
でもいっぱいよくしてもらった。でももうここで一緒に走らないんだなあとおもった。
どうせどっかで会えるの、わかってるんだけどなあとおもった。

教会でクリスマスパーティーがあった。なんと行った。

 

提出日当日(作業内容:参考文献リスト、図や表の作成・全体の流れチェック)
礼拝もクリパも行ったし、もう時間が足りない。
お祈り会に出ないことを考えたけれど、やっぱり神様とお会いしてから1日を始めようとおもった。
明け方のお祈り後から、そのまま研究室に向かった。

いつのまにかおなかがすいていたので、
コンビニで買った、たまごとほうれん草のスープを飲んだ。
昨日、クリスマスパーティーでもらったクッキーも食べた。

参考文献のリストをつくるのに意外と手間がかかり、
最後のチェックしてみると直すところがたくさんあった。直すところしかなかった。

締切は昼の12時だった。朝9時には終わると思っていたけど、結局11時頃までかかった。
徹夜明けでうまく頭が回らず、のろのろと進めていると、
もう提出し終わった研究室の同期たちが手伝ってくれた。

 

最後、論文の印刷が終わっていたけれど、大事な資料を入れていなかったことに気づいた。
ここで聖霊様が思い出させてくださった。
もう疲れたし、あきらめようとおもったけれど、
やっぱり必要だとおもって、資料を作成して修正して印刷し直した。

ようやく提出場所に並び、締め切り30分前に提出できた。
論文と、他の様々な事務書類も提出が必要だった。
事前に同期が提出し直しとなった部分について聞いていたから、
事務書類は完璧だった。

1回で提出できた。おわった。

 

毎日、ぐわーっと文章考えて、気づいたら図書館やカフェの閉館時間に追い出され、
お祈りして寝てまたぐわっと集中して、という生活はおわりました。
でも毎日6時間以上は寝ていました。正直8時間くらい寝ていた日もありました。
だって、寝ないと集中できないから。

この3週間の自分の不甲斐なさと、まだ発表や審査があることを考えると、
全く心が晴れなかったけれど、一段落しました。

どうして心が晴れないかというと、これから発表や審査で、
教授に怒られること、批判されることがこわいのです。
それは、みんな嫌だと感じることだとおもうのですが。
これが、わたしが今年、捨てていくべきものだとおもいました。

単純に教授の物言いが厳しいこともあるけれど、
わたしは人からの批判的な言葉が全般的に苦手です。
そうではないことがわかっているけれど、
自分のすべてが否定されたというように感じやすいです。

だから研究者としては本当に向いていないとおもいます。研究者にはならないけれど。
そもそも、もっとメンタルが弱かったので、昔は本当に恐れおののきながら生きてきました。
とにかく何も言われないように、敵を作らないようにひっそりと生きてきました。

過去と比べて、だいぶいろいろなことを受け入れるようになったけれど、
今でも、必要な言葉だとしても、すぐに傷ついてしまうことが多いです。
受け入れる強さをまだ持てていないのだとおもいました。

 

それは、今限界にぶつかったから、「澱」のように出てきました。
「澱」って知っていますか。「おり」と読みます。液体の底に沈んだ泥のことです。

以前、御言葉で、こう話されました。

澱がある桶には、きれいな水を入れても全体がよごれる。<心>もそうだから、きれいに悔い改めなければならない。
<2014年8月8日金曜日の明け方の箴言>

修論を書きながら、たくさん心が揺さぶられて、わたしの澱がたくさん出てきました。
年末だから、全部悔い改められるように見せてくださったのだと思います。
なにを悔い改めたらいいかわかりません、教えてください。とずっと祈っていたから。

安直な場所は、楽しいですし、むずかしいことも考えなくて済みます。
わたしはその状態に浸っていたい思いが強いですが、以前、こういう御言葉が出ました。

行く途中で止まって「楽な居場所」に座り込んだら、結局「その次元」に留まるようになります。
しきりに研究し、努力すれば、多くの問題と困難が解決し、主と共に強く大胆にかき分けて行けば、結局理想世界が出てきます。
<2017年10月29日主日の御言葉>

毎日変わらなくてはいけないから、
こうして澱を見せてくださったのはチャンスだとおもいました。

 

今日の御言葉で、
競争相手は、古いもの、 矛盾、直すべきこと、罪だと教えてくださいました。
新年がゴールラインだから、自分だけがそこに入って行きなさいと。
だから、この澱は2017年に置き去りにして、早く2018年に行こうとおもいました。

 

あと、あんまり関係ないのですが、
文章中の数字を全部半角に統一しなくてはいけない強迫観念にかられるようになりました。
でも、全角の方が読みやすいかも。

 

COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. by 愛

    私も卒論で似たような状況が最近起こってましたw
    最後まで読んで色々と共感してしまいました。

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