人前でも、人の後ろでも、中間の人もみんなでやる話

人前でも、人の後ろでも、中間の人もみんなでやる話

この前、他の教会の人がたくさん、わたしの教会にあそびにきてくれました。

それで、わたしの教会の牧師さんが、その人たちに教会のエピソードを紹介してくださることになりました。

 

わたしはその紹介のために、いろいろな資料をつくることになりました。

紹介動画と、パワーポイントと、展示のキャプションと、いろいろつくりました。

 

当日、実際に牧師さんがみんなの前で、わたしの資料を使ってお話されました。

聞くみんなは、牧師さんの話を耳で聞きながら、動画やスライドを目で追っていました。

わたしは牧師さんのお話に合わせてタイミング良く動画を流したり、

スライドを次に進めたりする担当で、みんなのうしろでパソコンをポチポチ操作していました。

 

特に神様のことを考えないなら、わたしはただボタンを押す人でした。

プレゼンターがすっきりと話すために、会場の雰囲気が崩れないように、人に合わせてボタンを押す人です。

 

しかし神様を考えるから、わたしはそのとき、神様のためにボタンを押す人でした。

神様の話したい瞬間に合わせてパッと画面を切り替える、最重要人物です!

 

牧師さんの話を聞きながら、わたしはパソコンや資料やさまざまな道具で

神様の歴史に参加しているんだなあとおもいました。

牧師さんと一緒に、わたしもみんなに話している気分でした。

 

御言葉を聞いていると、

ひとつのことは、そのまま直接のことだけではなくて、

いろいろな方法でできるんだなあとおもうことがよくあります。

 

神様を愛するにしても、

愛していますと直接告白すること、神様の考えを人に教えてあげること、

神様の心で友人にやさしくすること、神様と深く対話すること、様々なやり方があります。

それぞれ神様が願っていることですから、真心で神様にしてさしあげたことは、ぜんぶ喜んでくださいます。

愛していると告白することだけが愛することではないのです。

 

ものごとを伝える方法も、いろいろな方法があります。

人前で直接口で話すことは、明快に人に伝えられる方法ですが、

イメージで見せたり、音楽や映像を用意して見せることも、人にわかりやすく伝える方法です。

ブログも、口では話さないけれど、文字で話す手段です。

 

それと同じく、神様の力になることも、いろいろな方法があるのだなあとおもいました。

資料を見せ、ボタンを押すことで、神様のやりたいことの一部をやったのだ!とおもいました。

今までも、わたしは摂理にきてからいろいろなものを作ってきました。

自分の手で作ったものや動かしたものが摂理で活用されたとき、

神様の力になれたことを感じてうれしくなりました。

 

 

日曜の礼拝は、みんなでいっしょに神様のためにつくりあげます。

お茶出しをする人は、お茶でいっしょにするし、

照明の人は、ライトでいっしょにするし、

司会の人は、その姿と声でいっしょにするし、

ピアノ伴奏の人は、その演奏でいっしょにします。

 

唯一の神様に向かって、色々な個性のみんなが神様の願う仕事をしてひとつになるって、

とってもすてきとおもった日でした。

 

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